やる夫 Wiki
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ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
原作・出典元 実在の人物
性別
愛称・呼び名 ソ連人民最大の敵・シュトゥーカ大佐
  

ハンス・ウルリッヒ・ルーデル(Hans-Ulrich Rudel)は、第二次世界大戦の際に活躍したドイツ軍人(1916/7/2-1982/12/18/)。エーリヒ・ハルトマンやゲルハルト・バルクホルンらと並ぶ、伝説的な航空機パイロットである。

ウィキペディアの項目「ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」も参照のこと

アンサイクロペディアの項目「ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」も参照のこと

ニコニコ大百科の項目「ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」も参照のこと

概要

ヨーロッパ東部戦線に急降下爆撃機(シュトゥーカ)のパイロットとして出征し、戦車500両以上、車両800台以上、航空機9機の公式撃破スコアをたたき出した旧ドイツ空軍の英雄。プロパガンダ放送でその活躍はソ連軍にも広く知れ渡っており、ソ連軍は彼を名指しして懸賞金をかけていた。

『昇進して現場から離されたくないのでスコアを過少申告したり他人の手柄にする』『休暇中にも書類を偽造して無断出撃』『貰える勲章をあらかた貰ってしまい、事実上彼専用の勲章が新設される[1]』などの伝説を残す。30回ほど撃墜され、その中で片足を失う重傷も経験しているが、悉く生還して飛び続けた奇跡の人でもある。その記録は余りに嘘くさい内容ばかりなので、嘘八百百科事典のアンサイクロペディアでさえ、彼に関する記述は事実しか書いていない(既に嘘くさいのにこれ以上嘘を加えることはできない、とのこと)。

彼の戦場での1日に関しては
『朝起きる>出撃する>ミルクを飲む>出撃する>朝食>出撃する再出撃する>お昼を食べる>出撃する再出撃する>ミルクを飲む>出撃する>シャワーを浴びる>出撃する>ご飯を食べる>出撃する>寝る』
という生活を送っていた、なんて冗談みたいな話がネット上ではあったりする。……が、事実として「1日の内に15回」出撃した記録があるので、冗談に聞こえない。時には『負傷して帰ってきたのに、少し休むとすぐ再出撃しようとした』こともあるらしい。

終戦時は米軍に投降し、幸運にもソ連に引き渡されずに済む。戦後はアルゼンチン空軍の教官を務める傍ら様々な冒険を行い、西ドイツ帰国後に29歳年下の婦人と再婚。米国のA-10攻撃機の開発顧問に招聘されるなどの余生を送った。自伝でもある『Trotzdem(急降下爆撃)』は世界中の軍パイロットのバイブルとして知られている。旧ドイツの英雄たる彼の葬儀では空軍機が無断で追悼飛行を行い、ナチズム信奉者共が公然とナチス軍歌を唄うなど、あちこちで大問題が発生したという[2]

やる夫スレにおいて

現実の彼が常識を逸脱して戦い続けた存在のため、大体は「そういう」規格外のチートキャラとしての役柄が回される。

主な作品

脚注

  1. 黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章。一応、「最後の晩餐」になぞらえて12個が作られた。
  2. 現在でもドイツではナチスそのものがタブー視されており、独軍も「現在の軍は旧軍と決別している」立場を保っている。このため、国内どころか周辺国からも相当な抗議が浴びせられた。なお、ルーデル氏自身はナチ党員では無かった。
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