やる夫 Wiki
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きれいなノリさん↓
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  キリッ   |::::::::  ___、 ,_,l  
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 ./                i^|    イ ┃ノヨョヨコヨi┃ |
 l        、         |ソ     |. ┃|コュユコュ|┃ |
 |        \ Chunichi ヽ     | ┃ヽニニニソ┃ノ 
 ヽ       , -へ       ノ─ 、 ノ、_ ┗━━┛/
中村紀洋
原作・出典元 実在の人物
性別
愛称・呼び名 ノリさん
一人称 ワイ(きたない)
僕(きれい)
性格 銭ゲバ(きたない)
人格者(きれい)
口調 関西弁(きたない)
標準語(きれい)
  

中村紀洋(なかむら のりひろ)は、実在の人物。日本のプロ野球選手。

ウィキペディアの項目「中村紀洋」も参照のこと

アンサイクロペディアの項目「中村紀洋」も参照のこと

概要[]

甲子園での活躍から、高卒すぐにドラフト指名という黄金コースでプロ入りする。大阪近鉄バファローズからキャリアをスタートさせ、スター選手として鳴らしたが、次第に言動が傲慢になり、離籍をちらつかせて球団側に年俸アップを要求。当時の日本人選手最高額で再契約したが、その年は結果を残せず終わる。

その後メジャーリーグに移籍するも、やはり結果を残せず、わずかな期間でクビになる。日本に戻ってオリックス[1]と契約する。しかしその成績と素行の悪さから、またしても解雇された。新しい移籍先を探したが、全ての球団から干されてしまう。

最終的には年俸わずか400万という練習生枠[2]で、中日ドラゴンズに入団。練習生枠ながら、浪人時代の鬱憤を吹き飛ばすかのような活躍を見せ、九ヶ月後には年俸5000万で正式な契約を結ぶことになる。この時にはうってかわって謙虚な態度になり、「契約してくれるだけでありがたい」と、金にこだわらない姿勢を見せていた。

FA権を取得したことで、楽天イーグルスへ移籍[3]。しかも成績の低迷から二年目で解雇される。2011年からは横浜DeNAベイスターズに在籍し、2014年末には再び自由契約選手となった。

2016年からは高校野球のコーチに就任しており、また何かしでかすのではないかと心配されている。

やる夫スレにおいて[]

「有能な人物が慢心して落ちぶれる」が、「改心して返り咲く」というイソップ童話のような実話がねらーの心の琴線に触れ、「きたないノリさん」と「きれいなノリさん」の二種類のAAが作られた[4]やる夫スレで使われるのは、おもにきたない方である。

前述の通り、金にこだわっていたことから銭ゲバのイメージがつき、成金、悪徳商人など、金に汚い小悪党という役回りが多い。

一方、きれいなノリさんの方は、大変な人格者として描かれ、口調も標準語で、言葉遣いも綺麗。きれいなノリさんの面白さは、きたないノリさんとのギャップがあってのものなので、きれいな方が単独で出ることはほとんど無く、まず汚いノリさんが出てから、きれいなノリさんに変身したり、きたない状態が基本で、いいことを言う時だけAAが差し変わったりする。

主な作品[]

脚注[]

  1. この時すでに近鉄はオリックスと合併していた。
  2. 正確には育成選手枠。本来はプロ入りのレベルに達していないが将来性のあるアマ選手や、一度プロ入りしたものの活躍できずに自由契約になった選手を、二軍戦などに出場させて育成するために支配下登録枠外で契約する制度なのだが、「自由契約選手と支配下登録枠を使わず契約できる」という制度を利用してドラゴンズが中村を獲得した。その為ドラゴンズは「実績ある選手を取って何が育成か」と批判にさらされることとなった。
  3. 「きたないノリさん」の復活かと注目された。
  4. きれいなAAが作られたのは、中日と契約する前(つまり、改心する前)であり、「反省して人格者になっていたら?」という冗談から生まれたものだった。その後、前述の発言があり、冗談が現実になったとして驚かれることになる。

関連項目[]

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